暴走族について・・・・・その1

暴走族について・・・・・その1

私は現職当時、暴走族に関する数件の共同危険行為や免許運転、凶器準備集合罪、傷害事件、強姦事件、器物損壊事件、犯人隠避事件、毒劇物取締法違反事件等色々携わってきました。

今日は、ある暴走族の特殊な事件とそこに生きたレディスの事について話したいと思います。

私が某海岸を管轄に持つ警察署に勤務していた時の話です。
その警察署の管轄する海岸は、東北でも有数の暴走族が集まる港を管轄する警察署であり、当時週末の夜となると、暴走族やそれを見に来ている、いわゆるギャラリー達で二、三百人が交差点を埋め尽くすくらいの危険な場所を常に警ら警戒していました。
ここで、暴走族の共同危険行為について少し話したいと思います。
共同危険行為とは、簡単に説明すると車両が2台以上で共同して道路を縦横矛盾に走り、他の車両の通行を妨害をすることが犯罪となるのです。
この時は、約150台以上の自動二輪車や普通乗用自動車が共同行為を行っていました。 共同危険行為の立証は現在と少々異なるのですが、基本ビデオ撮影して、共同危険行為の状況を撮影し、更に迷惑者の確保を必要としていました。
当時も、暴走族が共同危険行為を始めたことから、覆面パトカーでビデオを使い採証活動をしていたところ、某署に応援派遣していた交通機動隊員が、車高短の暴走族の普通乗用自動車を止め職務質問したところ、その車高短暴走族の普通乗用自動車は交通機動隊員を当該車高短普通乗用自動車の運転手側に引っかけたまま急発進し、交通機動隊員を約600メートル先まで引きずり同隊員を振り落としたのです。当然同交通機動隊員は負傷しました。ここから私の捜査活動が始まりました。

ビデオに映っている約150台の車両ナンバーから使用者を割り出し、それぞれその使用者や当時運転していた運転者に聞き込みを始めたのです。
捜査本部を設け、捜査員は延べ1000人以上になったでしょうか、私は捜査本部の総括にいたのですが、捜査の進捗が滞り情報があがらないことから、業を煮やし自ら聞き込みを始めたのです。
聞き込みを始めて3日目、やっと有力情報を得ました。

それは、うちの先輩が、青服を引きずってやった
ざまー

と自慢げに話していたという事でした。

情報提報者は、以前私が暴走族のレディスとして検挙した少女であり、未だ暴走族を抜けられないでいたものの、私と関わってからはこれまでも色々暴走族の抜け方や薬物等の相談を受けていた少女でした。
この証言を機に一気に事件は解決と向かいました。

この少女からは、その後無免許運転で警察署に捕まったけど
「担当の警察官が私の話を聞いてくれない」
「本当は私は無免許運転していない」
「運転していたのは先輩なのにまさか先輩を警察に売るわけに行かない」ので黙秘してたら私が無免許運転の犯人にされたという事実を知らされたのです。

少女やその母親から助けを求められて私は、他の警察署の捜査にクレームを付け、結局その少女の無免許運転事実の嫌疑を晴らした訳ですが、旧態体制の警察組織です、その後の私に対する警察の行動は皆さん火を見るより明らかだと思います。(^^)

しかし私は、その時後悔はありませんでした。少女が言った言葉
私今 おっぱぶ で働いてんだ
刑事さんは軽蔑するかも知れないけど、私は私なりにちゃんと働いてんだょ
今楽しいし、族の先輩と付き合っていて、先輩も族から足洗いたい言ってんだ刑事さん、私と先輩助けてね、そしたら私たちの結婚式に呼んであげる
ってくったくない笑顔で話したんです。

一年後、私は暴走族風の男女が集う教会の結婚式に招待を受け、楽しい時間を過ごさせてもらいました。
新郎新婦の両親以外はみんな私より年下の今風の結婚式でした。(^^)

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